古代のフィリピン人たちとバランガイ

ごきげんよう。クンクン博士じゃ。
今日はバランガイ選挙の日じゃ。バランガイ(Barangay)とはフィリピンの最小行政区で、要するに村みたいなもんじゃ。
ちょうどよい機会じゃから、今回はちとバランガイの生い立ちにまつわる言い伝えをご紹介しようかの。
昔々、スペイン人たちがフィリピンを侵略に来るはるか前の12世紀頃、ボルネオから10人のダトゥ(Datu - 「首長」の意)が一族を引き連れてバランハイ(Balangay)っちゅー船に乗ってやって来た。

画像ソース: https://www.kularts-sf.org/blog/2019/7/4/boats-in-philippine-life-culture-and-spirituality
数隻のバランハイで海を渡ってきたボルネオ人(マレー系民族)たちは、フィリピンに上陸すると各バランハイの乗員単位で部落を構成した。部落の名前には乗っておった船の名前が使われ、これが今のバランガイ「Barangay」の始まりじゃといわれとる。
ちなみに彼らがなぜボルネオからフィリピンくんだりまでやって来たかっちゅーとじゃな、ボルネオの強大な交易帝国「シュリーヴィジャヤ(Sri-Vijaya)王国」のマカトゥナウ首長(Datu Makatunaw)っちゅう奴からひどい嫌がらせを受けて、それで逃げてきたらしいのじゃ。
さて、10人の首長とその一族を乗せたバランハイの船団は、ビサヤ諸島の一つであるパナイ島に上陸した。そこにはアエタ族が住んどって、マリクドっちゅー名の王が統治しとった。
アエタ族は、パナイ島におる少数民族アティ族の祖先じゃ。フィリピンに古代からおる先住民族ネグリト族の系列に属しておる。
ではネグリト族の先祖は誰か?フィリピン最古の人類、タボンマンか?
残念ながら、学者によるとタボンマンはネグリト系ではないらしい。実は、2007年にカガヤン・バレーのカラオ洞窟で見つかった人骨の一部が「もしかしたらタボンマンよりもっと古い時代(67,000年前)の人類かも」いうて注目されとって、そいつがもしかしたらネグリト族の先祖かもしれんのじゃな。「カラオマン(Callao Man)」と名付けられたこの人類については、近いうちに改めて紹介することにする。
さて、話を元に戻そうかの。
アエタ族は突然のよそ者の到来にビックリ仰天したが、バランハイ船団の総指揮官ダトゥ・プティが「いえいえ、私どもは決して怪しい者ではございません」と必死になだめて、ようやく受け入れてもらうことに成功し、ボルネオ人と先住民との交流が始まったわけなんじゃ。
さっそくマリクド王は新しいお友達のためにお祝いパーティーを開いた。このパーティーの様子を今に伝えておるのが、毎年1月にアクラン州カリボで盛大に祝われるアティアティハン祭りじゃといわれとる。
By <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Elisolidum" title="User:Elisolidum">Elisolidum</a> - <span class="int-own-work" lang="en">Own work</span>, CC BY-SA 4.0, Link
飲めや食えやの宴の場で、ダトゥ・プティと仲間のダトゥたちは王族に黄金の帽子やらネックレスやらを献上し、代わりにパナイ島を譲ってくれるよう頼み込んだ。一方、マクリド王も「こんなだだっ広い島、どうせオラたちにゃ耕しきれん」と考え、平地をダトゥたちに譲り、自分たちは森林や獣たちが豊富な山地に移動することにしたそうじゃ。
こうしてパナイ島を手に入れたダトゥたちは、島を「マディヤアス(Madya-as)」と名付け、統治しやすい形に分割し、それぞれ「ハンティック(現アンティケ州)」、「イロン・イロン(現イロイロ州)」、「アケアン(現アクラン州)」と名づけた。この島が「パナイ(Panay)島」と呼ばれるようになるのは、もうちょっと後のことになる。
ちなみに、現在パナイ島には上記3州の他にもう一つ「カピス州」があるんじゃが、これは当時アケアンの一部じゃった。
土地開発もようやく一段落し、ボルネオからの移民たちはそれぞれの部落(バランガイ)で平穏な日々を過ごしておったのじゃが。
ある日、ダトゥ・プティが突然「ちょっとボルネオに戻って、マカトゥナウの奴をやっつけてくる」と言い出しよった。よっぽどマカトゥナオ首長に酷い目に遭わされたとみえる。
たった一人で強大な王国に立ち向かうなんて、風車に立ち向かうドン・キホーテみたいなもんで絶対無理に決まっとるんじゃが、なにしろ絶大な発言権を持つリーダーが言い張ることじゃから、みんな同意するしかなかったらしいの。案の定、家族と従者らを連れてボルネオに帰っていったダトゥ・プティは、それっきり消息を絶ってしまった。あっけなく玉砕しちまったのか、ダトゥ・マカトゥナオと仲直りして面白おかしく暮らしとるのか、それは分からん。
ダトゥ・プティが島を離れた後、10人の首長の一人ダトゥ・スマクウェルが現地の指揮を執り、バランガイシステムをはじめとするマレー系フィリピン人の文化を築いていったということじゃ。
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