私が初めて「カラオケバー」なるものを知ったのは、純粋無垢だった19歳の時。日系のIT企業に就職して間もなくの頃であった。
通訳という仕事柄、フィリピン人の社長と日本人の会長のコミュニケーションを円滑にするため、常に彼等にくっついていなければならなかったのだが、それは「夜のミーティング」においても同じだった。
ある夜、会長が泊まっているホテルで夕食を摂りながら彼等の通訳に励んでいたのだが、夕食後「これからカラオケバーに行く。一緒に来い」と言われた。
酒は学生時代からたしなんでいたものの、バーには一度も行ったことがなかった私はさっそく怖気付いた。
「店の人たちやお客さんたちにいきなり殴られたり、なんか変な薬盛られたり、金盗まれたりするんじゃなかろうか…」
もちろんそんなことはないのだが、純粋無垢だった19歳の私は、カラオケバーに得体のしれない「魔物の巣窟」みたいなイメージを抱いていたのであった。
折しも、その夜は初任給をもらった日であった。人生初の給料をむざむざ盗まれるにはいかない。
そこで、会長に頼んで「記念すべき初任給」をホテルのセーフボックスに入れてもらうことにした。
いそいそと自分の金をセーフボックスに入れる私を見て、会長たちは
と思ったに違いない。
こうして「カラオケバー」に初めて足を踏み入れた私は、その後数十年間、薄暗く怪しげな雰囲気と妖美な女性たちに囲まれるこの魔物の巣窟にぬっぷりとはまってしまうことになるのであった…。
ちなみにセーフにしっかりと保管していた初任給だが、父が若い頃、自分の初任給をそっくり母親(=私の祖母)に渡したというエピソードを聞かされていたため、翌日同じように全額父に渡した…と思うのだが、実はそのまま受け取ってくれたのか、「気持ちだけ有り難くもらっておく」と言って受け取らなかったのか、記憶が定かではない。
私と父の性格からすると、
…というシチュエーションだった可能性が非常に高い。
こうして魔物の巣窟「カラオケバー」の毒牙にかかった私は、若さと独身ならではの身軽さと豊富な資金(日系ソフトウェア開発企業の通訳という、当時のフィリピンでは特殊の類に入る仕事に就いていたため、比較的高額な給料をもらっていた)も手伝って、足繁く通うようになった。
どちらかというと現地人寄りの容貌をしている私の横に付いた女の子は、大抵の場合「日本人デスカ~?」と聞いてくる。
そこで「どう思う?」とタガログ語で聞くと「やっぱフィリピン人だ!」と喜んだり(=新人)警戒したり(=ベテラン)する。おなじ質問を日本語でしても「…日本語のうまいフィリピン人でしょ?」となる。結局、行き着く先は同じなのである。
まあ別になに人に見られようが構わないし、彼女たちは接客が仕事なので、話しかけるきっかけにしているだけなのは充分承知している。むしろ、のっけから格好の話題を提供してあげられる分、私にアドバンテージがあるといえよう。こちらとしても、振られた話題を引き延ばすことで、初対面の緊張をほぐすことができる。素直に「ハーフだよ」なんて答えてしまうと、後が続かなくなって面白くない。
ただし、昔こんなことがあった。
あの夜以来、地道にコツコツと経験を積み、立派な「カラオケ廃人」に成長しつつあった私は、ある夜いつものように友人とカラオケバーをハシゴしていたのだが、とある店に入ろうとした所、店のガードマンに通せんぼされた。
ガードマン「すみません。うちはメンバーズ・オンリーなので」
私「はああ?俺の友達は入れてるじゃん。会員じゃないのに」
ガードマン「お友達は日本人なのでOKなのです」
会員=日本人、ということらしい。高級ホテルで「ポン引き」に間違えられた実績を持つ私は、ここでも現地人に間違われたのであった。
既に酔っ払っていた私は、この扱いにカチンとなり
「そう。じゃあ、俺はハーフなんで」と言うや、店のドアの端に背をくっつけると、半身を外に出し、半身を店の中に入れる形で座り込んだ。「これなら文句ないよね?」
このままでは他の客の邪魔になると考えたのだろう。ガードマンは苦笑いしつつ「わかりました。どうぞ」と私の入店を許可した。
私も酔いに任せて少々乱暴な行動をしてしまったことを今でも反省しているのだが、自分の容貌が原因で入店を拒否されたのは、後にも先にもこの時だけであった。店の女の子から「日本人デスカ~?」と聞かれるたびに、この思い出が脳裏をよぎる。