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こんにちは!ケンちゃんです!

ホセ・リサール、アンドレス・ボニファシオ、そしてエミリオ・アギナルド。

独立運動で中心的な役割を果たした、「独立御三家」とも言える男たちの名前です。この3人を語らずして、フィリピンの独立を語ることはできないといっても過言ではないでしょう。

今回は、今のフィリピンの基盤を築き上げたこの偉大な方々を、ちょっとシリアスなタッチで紹介したいと思います。

 

フィリピン独立への道 - ホセ君の場合 

 

まずは、フィリピンのスペインからの独立のきっかけを作った、国民的英雄ナンバーワンのホセ君。

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アンドレス君とエミリオ君の大先輩にあたるホセ君は、1861年6月ラグナ州カランバ町の裕福な家庭に生まれました。スペインのフィリピン支配はすでに300年目を迎えていて、時の権力者らによる差別と搾取が公然と行われていたようです。

 

フィリピンの名門校であるアテネオ大学とサントトマス大学でそれぞれ美術と医学を学び、さらにスペインのマドリッド大学に進学して医師免許を取得したホセ君は、積極的に海外にも出掛け、日本語を含む22カ国の言語を操ることができたといわれています。

 

学歴よし、社交性よし、性格よし、家柄よし、イケメン、豊かな感性、溢れる才能、努力家、博識、幅広いコネ、カリスマ性、そして天才的な頭脳。

 

普通、これだけ環境と容姿と才能に恵まれていれば、エリートコースまっしぐらの明るい未来が待っていたと思うんですが、純粋な心と人一倍強い愛国心が、彼の人生をガラっと変えることになるんですね~。

 

そんな「天才カリスマアイドル」ホセ君が、35年という短い生涯の中で付き合った女性は、知られているだけでも9人。恋人の中には「お勢さん」という日本人女性も含まれていました。

 

でも、遊びで女性を取っ替え引っ替えしてたわけではなく、いつだって真剣だったんだけど周りの人たちに妨害されたり、祖国を優先するあまりホセ君の方が諦めちゃったりでうまく事が運ばず、それで結局ダメになっちゃったようです。

 

唯一、9人目のジョセフィン・ブラッケンさんとは結婚の一歩手前までいきましたが、挙式を頼んだ牧師に「修道会に対する今までの暴言を撤回しろ。話はそれからだ」と言われたため断念。しかたないので内輪で結婚式の真似事をしたそうです。

 

はい、脱線しちゃいましたね。話を戻しましょう。

 

ホセ君は、別にスペインからの独立を考えてたわけじゃなく、「我輩的には、スペインの領地でも別にいいから、自分たちで管理したいのだ。奴隷のように扱われて搾取されっぱなしじゃ、たまったもんじゃないのだ」と考えていたようです。要するに、フィリピン人にも権利を認めてちょうだい、人間として対等に扱ってちょうだいってことですね。

 

そこで自分の考えを宗主国に訴えるべく、ホセ君はスペインに渡り、植民地の人たちのニーズを訴える団体「ラ・ソリダリダード」に参加。物書きとしての天賦の才能をフルに発揮し、エッセイ、ポエム、小説などを通して、フィリピンでのスペイン修道会とスペイン政府の腐敗ぶりを暴露・批判してきました。代表的な小説に「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」と「エル・フィリブステリスモ(反逆者)」があります。

 

当然、ホセ君のこうした活動がフィリピンの支配層にとって面白いはずがありません。「若造が舐めた真似しおって!帰ってきたら即刻ひっ捕まえてくれるわ!」と、ホセ君が帰国してくるのを待ち受けていました。

 

果たして、1892年にフィリピンに帰国後、民衆の意識革命を促すために「ラ・リガ・フィリピーナ」を結成したホセ君は、そのわずか4日後にスペイン官警に捕まり、サンボアンガ州のダピタンというド田舎に飛ばされてしまうことに。

 

そして、ラ・リガ・フィリピーナに参加していたアンドレス君が先走り、1896年8月に武力による「フィリピン独立革命」を起こすや、ホセ君は再び捕まって革命の扇動者に仕立て上げられ、同年12月30日に処刑されてしまうのでした。

 

平和的な改革を望み、安易に武力に頼るようなことはせず、代わりにペンの力でスペインの圧政、修道会関係者らによる差別、特権階級の横暴を糾弾し、人々の教育、意識改革、そして生活環境の改善に尽くしたホセ君。結果的に、自らの死が独立への道を開くことになります。